大好きな音楽の話をしたいな


by oldblues
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

ミコちゃんと僕

b0008880_22564822.jpgn_ayadaさん主催のブログ「食べる・聴く」に、弘田三枝子に関する記事が掲載されていた。それに触発されて僕も彼女の事を書きます。

人生で最初に好きになった女性歌手、それが弘田三枝子だ。もちろん「人形の家」で再デビューする以前の少女時代の彼女である。勉強机の前の壁に、雑誌(「平凡」や「明星」)のグラビアから切り抜いた写真をベタベタと貼り付け、両親からこっぴどく叱られて泣く泣く剥がしたのも懐かしい思い出だ。デビュー当時の彼女は14~15才だったから、「歌が上手くて可愛いお姉さん」と憧れていたのかもしれない。

僕は硬派な?小学生だったので、テレビの歌番組なんて絶対観なかった。ましてや女性歌手のファンになるなんて思いもよらないことだった。それがどうしてミコちゃんに関心を持つようになったのか?記憶は定かではないが、おそらく当時大ヒットしていた「ヴァケーション」のインパクトがかなり強かったからではないだろうか。

「ヴァケーション」はもともとシングルのB面として発売されたが、A面をはるかに凌ぐ大ヒットとなった。「V-A-C-A-T-I-O-N 楽しいな!」という歌い出しは、今でも多くの人が記憶していることだろう。
それまでのわが国には、ヴァカンス礼賛などというコンセプトの歌は無かったはずだ。それなのにこの曲が人口に膾炙したのは、「頑張って働き、物質的に豊かになりたい」という、高度経済成長前夜の大衆の願望にマッチしたからだと思う。

そこへもってきて、弘田三枝子のキャラクターは底抜けに明るく、はちきれんばかりに健康的だった。豊かさが幸福だと信じて疑う事を知らなかったその頃の人々にとって、ミコちゃんの歌はまさに「明るい未来」を象徴していたのだ。

もちろん弘田三枝子の人気は、そのイメージによるものだけではない。歌唱力は抜群だし、「パンチのある歌い方」というコピーは、彼女のために作られたのではないかと思われるくらい迫力があった。要するに、かなりの存在感があり、スターとしての天性の素質を持っていたのである。

この頃、「ポップス」というのは外国のものであり、それを日本語に訳したのを日本人歌手が歌うというのが一般的だった。ニール・セダカやヘレン・シャピロやコニー・フランシスを直接聴くのではなく、坂本九や森山加代子やザ・ピーナッツを通してポピュラー・ソングを聴き始めた人がほとんどだったのだ。
僕の場合も当然そういう経路を辿ったわけで、その後も音楽を聴き続ける大きなきっかけとなったのが弘田三枝子の存在だったと言える。

彼女は一時シーンから消えた後、見事なカム・バックを果し、歌謡曲からジャズまで歌える実力派シンガーとして、現在に至るまで息の長い活動を続けている。しかし僕にとっての弘田三枝子は、やはり60年代ポップスを日本語で歌うあの頃の「ミコちゃん」だ。ご本人やファンの方には申し訳ないが、未だに当時の彼女が最も光り輝いていたと思えるのである。
[PR]
by oldblues | 2005-07-16 23:00 | Various