1986年のマリリン
2005年 11月 13日
今さらという感じではあるが、僕も本田美奈子さんの訃報に接し驚いた一人である。難病で入院しているという事は知ってはいたが、病床からミニ・アルバムをリリースするというニュースも入ってきていたし、必ず復活するであろうと信じていただけに残念でならない。心からご冥福をお祈りする次第である。
とは言っても僕は熱心なファンというわけでも無いし、考えてみると彼女の事はほとんど何も知らない。
アイドル歌手としてデビューし、後年ロックやミュージカルにも活動範囲を広げ、女優としても活躍していた。そして今年の初めに突然、急性骨髄性白血病で入院・・・と、まあこの程度である。
そんな僕がなぜ彼女の死にショックを受けたかというと、ニュースなどで伝え聞く彼女のけなげで前向きな闘病ぶりに感銘を受け、いつしか心密かに応援するような気持ちになっていたからだ。
余談だが、仕事で京都へ行っていた頃H君とという仲間がいた。彼の宴会での持ちネタが、本田美奈子の初期のヒット曲「1986年のマリリン」をカラオケで歌う事だった。シャツの裾を捲り上げてヘソ出しルックになった彼が、腰をくねらせ声を裏返して「マリリ~~~ン!」と絶叫するたび、会場は爆笑の渦に包まれたものだった。そして僕はこの哀しみが同居しているようなパフォーマンスが好きだった。
こんな事を書いても本田美奈子の供養にはならないだろう。逆に彼女のファンからお叱りを受けるかもしれない。でも僕は今、H君の歌う「1986年のマリリン」をもう一度聴きたくて仕方がないのだ。
とは言っても僕は熱心なファンというわけでも無いし、考えてみると彼女の事はほとんど何も知らない。
アイドル歌手としてデビューし、後年ロックやミュージカルにも活動範囲を広げ、女優としても活躍していた。そして今年の初めに突然、急性骨髄性白血病で入院・・・と、まあこの程度である。
そんな僕がなぜ彼女の死にショックを受けたかというと、ニュースなどで伝え聞く彼女のけなげで前向きな闘病ぶりに感銘を受け、いつしか心密かに応援するような気持ちになっていたからだ。
余談だが、仕事で京都へ行っていた頃H君とという仲間がいた。彼の宴会での持ちネタが、本田美奈子の初期のヒット曲「1986年のマリリン」をカラオケで歌う事だった。シャツの裾を捲り上げてヘソ出しルックになった彼が、腰をくねらせ声を裏返して「マリリ~~~ン!」と絶叫するたび、会場は爆笑の渦に包まれたものだった。そして僕はこの哀しみが同居しているようなパフォーマンスが好きだった。
こんな事を書いても本田美奈子の供養にはならないだろう。逆に彼女のファンからお叱りを受けるかもしれない。でも僕は今、H君の歌う「1986年のマリリン」をもう一度聴きたくて仕方がないのだ。
by oldblues
| 2005-11-13 23:19
| 音楽以外の話